4月14日のこと。自分らしく生きるって難しい。
こんにちは~
今日は髪の毛のカラー&カットしました。
少し色味を変えて明るくなりました。
ハッピー!
昨日も渋谷のラジオ「江口の鍵閉め」、無事に施錠?しました。
ただ喋って笑っているようで、時間配分が意外と難しい。
皆さまいつもありがとうございます!
何でもない時間の幸せ、共有したいですね。
もう一つ、15時台の「渋谷のサンデー」、すごく心にきました。
扱っていた「#ForAllWomen」の動画について。
https://twitter.com/jobrainbow/status/1103651637137039360?s=21
以前にこの動画を観て、今回番組でのお話を聞いて、考えました。
私は、女性に生まれて、自分も自分が女性であると自覚して生きています。
でも、小学生の頃から、「性別」という概念に生きづらさを感じていました。
男友達と話してる方が自分らしいなと思っていたり、身体的能力や職業選択の場面で、性別による差や壁があったり。
性別による、身体的、社会的に踏まなければならない段階が煩わしく。
女だから男だからではなく、「人」として生きていたいと、「人」として「人」に接していきたい、接して欲しいと、中学校に入る前から、思っていました。
なんで「男」と「女」があるんだ、と悲しくて苦しくて泣いていたこともあった。
誰だって男性と女性の間に生まれたことはずーっと前からある事実なのに、なぜ性別にこだわるのか、繊細な問題になってしまっているのか、分からなかった。
誰だって生まれてからしばらくは自分が何者かも分からない、同じ「人」なのに。
たとえば見た目が女性でも、その人の生きてるマインドは必ずしも女か男かという基準では決まってない。
自分の当たり前は人の当たり前ではない。
だから、あの動画を観て、「人」として、たくさんの「人」の中で、「自分らしく」生きることがどんなに難しいことか、
そう生きられない(と思ってしまう)ことがどんなに苦しいことか、
自分もそうだと、誰にでも当てはまることだと、改めて感じたのです。
生きづらくなる概念は性別だけではない。
たとえば学歴とか出身とか容姿とかもそうかも。
(だから私は声しかないラジオが好きなのですね。)
生きづらくしてるのも自分のこれまでの人生や凝り固まった頭のせいかもしれない。
今でも解決していないこともあるけど、
私も周りも大人になってきて、社会も少しずつ変わってきて、
仕事を変えて、海外に行って、
ちょっとずつ、生きづらさは減ってきたなとは思います。
「自分らしく」ってそもそもなんじゃ、とは思いますが、少なくとも呼吸が楽になってきたような。
いや、今と比べて以前が息苦しかった気がするのかも。
誰にでも何かしらそういうことはあるのだと思います。
今回、心が震えてしまったので書いてみました。
そんな機会をありがとうございました。
しかし瞬さんいつも通り面白くて笑いました!笑
私が、人から押し付けられる概念が苦しかったように、自分も人に何かしらの生きづらさを与えているかもしれない。
なるべく視野を広げて生きていたいと思います!