akkkie1の日記

旅 ラジオ すきなこと おもうこと

池江選手

池江選手が東京オリンピックの代表に内定した。

昨日の準決勝はテレビで観た。

肩の可動域はんぱねーと思って観ていた。

決勝でどんなレースを見せるのか、どんなタイムが出るのか、気になった。

今日は仕事だったのでテレビは観られず、

Twitterですぐにトレンドに上がったので知った。
その後にLINEのニュース速報が来た。

鳥肌が止まらなかった。



私は、一人のトップ選手ばかりを取り上げる報道があまり好きではない。

みんな頑張っている。

今回池江選手が病を乗り越えての優勝だったことも、みんなが知っていることだが、同じスポーツをし、同じスタート台に立つ選手からしたら関係のないことだ。

ニュースの見出しに、病を乗り越えた上での優勝だと示す文言も、要らないのではないかと、思う。普段なら。

でも今回は、すごいとしか言いようがない。

あらゆる言葉を尽くして称えるべき勝利だ。

なぜだろう。自分を分析したい。



闘病生活がどれだけ苦しかったかを想像することはできない。
でも、想像を超える苦しみだ、ということは、色々な人の闘病生活をSNSなどで知ることのできる今、私にも想像できる。

もちろん、もともと実力のある選手だったんだから可能性はあっただろうとも思える。

でもそれがほぼゼロにリセットされてしまった。

水泳選手が池江選手と同じだけのブランクを空けて元の競技レベルに戻すことがどれだけ大変なことかは分からないが、

池江選手が自分なりの目標を持てた、その目標を達成(あるいは通過)できた、ということが何よりも素晴らしいことだと思う。

もちろん他の選手も自分なりの目標を達成したかもしれない。達成できず悔しい思いをしたかもしれない。

こういう大会は、順位やタイムによって、明らかな線を引かれるから、時に天と地のように、100か0かのように、残酷に感じる。

当人たちはそうかもしれない。そうだとも思う。

でも、今回は、いち観客として、そういう線引きではなく、目標を持ったこと、それに向かって精一杯取り組んだこと、目標にどれだけ近づけたかということ、
そういう視点で見られたような気がした。

どんなに小さい目標だって構わない。
何か頑張ろう、と勇気をもらえた気がした。

オリンピックのレースが本当に楽しみだ。

映画

先日、とても久しぶりに映画館で映画を観た。


このコロナ禍で、1年以上観ていなかったのではないかと思う。


私は2回目の緊急事態宣言が出てからまた、休みの日は極力家にいるようにしている。知り合いでなくても、不特定多数の人にも会わないようにしている

普段の仕事で外に出るからである。


私は私の意志で人と会わない。

(だから誰かを否定しているわけではない。)


まぁいいのそれは。


映画ってひとりで楽しめるし、よく考えて行けば自分も周りも不安にさせにくいエンタテイメントだなと気が付いた。


で、その先日から30日も経たないうちにもう一度映画館で映画を観た。


同じのを観た。


『ヤクザと家族 The Family』


細かい感想は置いておいて、

もう一度観たい。映画館で観たい映画だ。


それで、そういう時、感想とか誰かと話し合いたいじゃないですか。


同じものを観た別の誰かの意見を聞きたいんです。


これ良かったよ!ってただ誰かに言いたいんじゃなくて。


でもそういう時に、今やってるやつ!観に行って!感想教えて!なんて人に言えない。


お金も時間もかかるものだからね。


私に感想教えて欲しいからっていう理由だけで人に観に行ってなんて言えない。


そういう時、SNSハッシュタグで映画のタイトルを探すと、色んな視点を知ることができて面白い、ということが分かった。


人の視点、というのを得にくい時代だ。


知らない間に、自分の世界だけで生きている。


これまでだったら、同じものを見て、色んな考え方を自然と知ることができたのに。


独りよがり。狭くて小さな世界。


想像力が乏しくなる。


自分の想像力の欠如に気がつく時ほど悔しくて悲しいことはない。

想像には体力も必要だし。

それはもう悔しくてたまらない。


で、そういう時に、何か同じものについての色んな人のシンプルな感想、を見ると良いと思った。


ここは良いと思う、ここはしっくりこなかった、これはこんな意味ではないか、とかそれぞれの解釈を。


ただ良かったー!とか、つまらん!とかではなくて。




まぁここでは特定の誰かに言うわけではないから、

よければ観に行ってください、

それで、あなたの気づきを教えてください。


ロングラン上映が決まったらしいです。

バンプ

好きな歌があって、

好きというか、大事なというか、どうしようもない気持ちになる歌があって、

BUMP OF CHICKEN『同じドアをくぐれたら』

という歌で、まぁみなさんご存知だとは思いますが。


この曲が頭の中を流れたということは、何かで迷っているか、迷っている人がそばにいるか、あるいはどうしようもない気持ちへの渇望、退屈な日々への飽き、みたいなのがあるのか。


自分が迷っている時、もう答えが出ていることを思い知らせてくれる。

誰かがそばで苦しんでいる時、自分には何もできないことを思い知る。


過去の選択を疑いたくなった時、それがベストだったと思わせてくれる。

自分が元気で、誰かが元気でいてくれたらそれでいいじゃないか。

だからどうか元気でいて。


私は過去に、

人は二つを選べない、何かを得たければ何かを手放さなければならない、という当たり前のことを当たり前のように教えてもらったことがある。


とても感謝している。

だからどうか元気で。

悲しい

オリンピック中止だね〜、とか、無理だろうね〜、とか、憶測で簡単に言われることがとても悲しいと、気づいた。


命が大事とか、お金がどうだとか、そんなことは知らん。そんなことは分かっているけど知らん。


一分一秒の重み、戻らない時間の重み、どれだけ感じて生きてきたか。


アスリートじゃなくたって、気づかないうちに、大きな意味を持っていたのだ。


オリンピックが後回しでいいようなことを、そんなに簡単に言わないでくれ。


どれだけの夢や希望や仲間を生んできたか。


どうにかしてやってきたのだ。どうにかして前を上を進んできたのだ。


諦めずに。


このためにどんな思いで今日を過ごしたか。


やると決めたのだから、みんなでなんとかしようとしてくれないか。




でも、今日深く傷ついた自分に気付いたことで、これまでの時間の過ごし方を少し肯定できた気がする。

ごはん

炊きたてのごはんって最高よね!!


夜遅くなったり太りたくなかったりで夜は炭水化物を抜きがちだったけど、


なんか元気出ないなーって時ご飯炊いたらまじでエネルギー湧いてきた。


っていう普通の話でした。


食べるものって大事。


コロナ前に自分のスペースと広いキッチンを用意できた自分グッジョブだし、両親に心から感謝。