akkkie1の日記

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憧れ

憧れでした。


私と同じ名前の役を演じていて、そのお話も役もとても素敵で、

私は自分の名前がまた少し好きになりました。


いつか遠目でもいいから実際に見てみたいと思っていました。


いつか会えるような気がしていました。


その繊細な仕草と目線と声とが好きでした。


強くて優しくて儚くて美しくて


そんな人になりたいと思っていました。


憧れでした。


こういうのを憧れというんだと思いました。


憧れをうしなうことは、

身近な人をうしなうのとはまた違った悲しさがある。


より悲しい気がする。


その人を感じる手段が何もない。


これからどんなに頑張っても追いつけないし、会えることはない。


秋の入口だから、余計に悲しい。


人生はその人のものだ。




でも、のこしていったものを、私は観ることができますね。


悲しいです。


でもきっとこれからも、憧れです。

横浜

夜中。ぼーっとひとりこの街の夜景を見ながら思ったこと。




何年か前の今日はあの道を通っていたのかもしれない。


この街のどこかに、今、一生忘れられない瞬間を過ごしてる人がいるかもしれない。


悲しい気持ちの人がいるのかもしれない。


働いている人がいるかもしれない。色んな気持ちで。


電波はどこまでも飛んでゆく。


同じように海を眺めたい。


この街のことをもっと知りたい。


誰かに伝えたい。


明日のことは考えたくない。


今だけを見ていたい。


まだ電車が動いている。


私が育ったこの街は狭いようで大きくて、いろんな物が詰まっている。


また昔のトレンディドラマ観よっかな。


まだまだ楽しいことがあるはずだ。

ケーキ屋さん

私は本日お休みで、


病院の帰りにドキドキしながら久しぶりにケーキ屋さんでケーキを食べている。


コーヒーの香り、マロンケーキ、美味しい。


病院というのも本当に久しぶりで、


なぜ元気有り余っていつも戦闘態勢の私が行ったかというと、

自主的に定期的にしてもらっている検査のためである。


なんとなく思うところがあって検査してもらっている。


特に問題ないと思ってたけど、前回から間が空いてしまったので少し不安に思いつつ。


今回も特に問題なしだった。


でも常に身体は変化していることが分かった。


なぜ検査するかというと、何事においても、根拠のない大丈夫、を言いたくないからである。


お前のその大丈夫はどこから出てきたんだ、といつも思う。


何事も根拠がないなら調べてこいって話なのである。笑


で、検査結果が出るのが鬼遅かったので、待合室(世間話の止まらない2人組のおばあちゃんと私しかいない)で、爆睡させていただいた。

どうせ人いないしベッド貸してくれいやそれはさすがにあれなんでソファーでいいから横になりたいレベルだったけど遠慮した。


昨日はパソコンに向き合いながら体をくの字にして床でウトウト寝てしまった。


検査の予約をしたことに気付いたのはその時だった。まぁそれは本当によかった。


病院の話は余談でして。




ケーキ屋さん。


仕切りの向こう、私から見て斜め前のカップルが、ケーキをあーんしていた。


彼が彼女にあーんしていた。


久しぶりに見たあーんである。


このご時世においてあーんである。


色々寒気がしたとともに少しの尊さを感じつつ、


そんな自分にも嫌気がさした。


何がなんだか分からん世の中だ。


当人が幸せならそれでいいのだ。


私は、自分の人生の舵をとるのは自分なのである、ということを常にみんなに伝えていきたい。(飛躍)


という話。


以上。


はい以上です。




検査のことだけど、


私は、誰かが生きたかった明日を生きている、と思うことがある。


絶対に誰かがのこしてくれた思いを無駄にしてはいけない、となるべく軽やかに、思っている。

イケメン

みなさまお元気でしょうか。


みなさまがお元気であることを祈りつつ、

私は今、イケメンを見つけました。


電車に乗ってるんだけど、


つーかお腹すいて倒れそうなんだけど、


ま、それは置いといてですね。


3人隣に座ってるお姉さんの向かい側のお兄さん、急にお姉さんに声かけたのね。


何かな、って思ったら、


「ライトついてますよ」だって。


あー


たまにスマホのライトついてる人いるよね、

あれ向かい側にいると眩しいの。

だし、教えてあげた方が良いとは思うの。

でも以前そういう時があったけど、私は勇気が出なかった。


でもお兄さん、見つけてすぐ声かけてあげてた。


素敵!!!


で、たぶん顔もかっこいいと思うの。


すらっとした体型に程よい筋肉、

視界にうっすら映る髪の毛の分け目もグッド。


でもこういう時顔見るか迷わないですかね?


想像と違ったらどうする?


いやお姉さんに声かけた時点でイケメンなんだけど、

あえてそのお顔を知る勇気ある?


お兄さんに失礼だし、

見てどんな感情を抱くのか、場合によっては自分にげんなりする。


それでも見るのか?









イケメンでした。

悩み。

私は動物を愛せない。


虫や爬虫類など、毛のない生き物は除く。


別に存在を否定するわけではないし、動物が嫌がることはしたくない。


動物を見ると、お互い生きてるな、って思う。


私たち一緒だな、とも。


絶滅危惧種の情報を見ると、我々人間のせいだ、と思うし、できることはしたいと思う。


たとえばアフリカの動物を撮ったテレビ番組、たまに観る。


インスタで誰かがあげた動画を見て、かわいい〜と思うこともある。


でも、かわいい〜、以上。


ライオンを見て、かっこいい、と思う。


もののけ姫の山犬を見て、友達になりたいと思う。


でも、動物を愛する、という感覚が分からない。


ペット関連の番組、興味ない。


飼い犬や猫を見せ合って盛り上がってる人たちの気持ちが全く分からない。


かわいいでしょ?って写真を見せてもらって、かわいいと思えば、かわいい〜、と言う。


かわいいと思わなければ、そうだね〜、と言う。


かわいいと思ってる人たちの気持ちを害したくはない。


でも愛想笑いはできない。


ペットを飼って愛する人の気持ち、素晴らしいと思う。尊重したい。


でも申し訳ないけど、理解はできない。


予告なしにペットを連れてきて、近づいてくる人、ごめんなさい、意味わかんないです。


なぜ私みたいな人も存在することを想像できないのか!


もちろん、ペットを連れてきても、周りに配慮してる人かどうかはすぐわかる。本当に有り難い。


私は冷たいだろうか、と時々悩む。


動物を愛せないからあなたは思いやりが足りなくてハッキリと物を言う性格なのだ、というようなことを言われたこともある。まぁそれは全く関係ないですね!


でもこういう人、他にも多くいると思う。


虫嫌い!は言えるのに、動物好きじゃない、は言いづらい。


なんとなく、動物を愛する=良いイメージ、というのが世の中にはあって、言いづらく、

自分がマイノリティーだと感じて生きづらくストレスに感じるポイントなのだ。


だから、誤解をしないで欲しいと思いながら書くけど、

飼い犬や猫を見せ合って盛り上がってる人たちの会話や姿を見ると本当に胸が苦しくなる。


自分にも見せてきて、同じ反応を強要されるのではないかと身構える。


そういう時は、そういう人もいるだろう、私の人格をこれ見よがしに否定しようとしているわけではないんだよ、違う人生なのだ、と自分に言い聞かせて、受け入れるというよりは、あまり気にしないように努力する。




ふと、あ、この悩みは言っていいことかも、と思ったので書いてみた。


生きづらさを減らせるもんなら減らしたい。


もちろん、毛のあるペットを愛する人を否定したいわけではないし、

自分もいつか毛のあるペットを愛してるかもしれない。

コロナで起こったこと。

人々の心の中で起こったであろうこと。




流行を抑えるために人に会わないということ。


何かを"しない"ことが、

誰かのためになる、ということ。


"何かをしない"をすることが、

大切な人を守る、ということ。


大切な人が苦しんでいる時に、何かを与えたりそばにいたりすることができないこと。


知らぬ間に自分が誰かにウイルスを移してしまう可能性があること。


自分はウイルスを持っている、と自覚しなければならないこと。


大切な人に会ってはいけないということ。


自分はウイルスを持っているから。


大切な人が会いに来てくれることを拒まないといけないこと。


自分はウイルスかもしれないから。




気をつけて、と言われる。


あなたが気をつけないとみんなが困るから。


気をつけて、絶対に。




あなたは大丈夫なの?と言われる。


あなたは大丈夫でも、あなたが会った人は大丈夫なの?と大切な人に言われる。


来ないで、なんて言われなくても、じゃぁもう行かないよ。


相手は見えないんだよ、見えない、コントロールできない相手と四六時中戦ってるんだよ。


想像してくれよ。




でもそうだよね。


私はウイルスなんだから。




時間が経って理解した。


大切な人を守るためだ。


でも、そのために自分に言い聞かせるどの言葉も、自分を深く深く傷つけた。


言葉の持つ力はすごい。




大切な人が元気でいるのか

どんなに心配しても

自分にはどうしてあげることもできない。


祈ることしかできない。


その人を信じることしかできない。


遠くの国の人が苦しんでいる。


でも自分には助けることができない。救うことができない。




信じよう。


みんな同じ。


あなたも私も、ウイルスではない。


敵は人ではない、ウイルスだ。


今日も一生懸命、自分と大切な人の命を守って生き抜いた。


それがきっと、遠い国の人の命も守った。




今日も守ってくれてありがとう。


ありがとう。


それだけでいい。それだけで充分。


ありがとう。




まだまだ続く。


まだまだ新しいやる気なんて出さなくていい。